「地方に移住」して気づいた「大切なコト」

東京から地方に移住。移住生活をしながらの気づきを書いていきます。

家計の「調達」と「内製」

強い企業(収益性の高い企業)は、

自社が「担当する仕事」について明確な判断基準を持っています。

 

言い換えれば、

「調達」と「内製」のバランスが取れています。

 

たとえば、

ラーメン屋であれば、1杯のラーメンを作るプロセスすべてを

行っているわけではありません。

 

ラーメンを盛る器は取引先から手に入れ(調達)、

ラーメンの麺は得意先から購入し(調達)、

鍵となるスープと具材だけを作っている(内製)かもしれません。

 

1台の車、たとえばトヨタ車であっても、

そのすべての部品をトヨタが内製しているわけではありません。

そこには「調達」と「内製」の絶妙なバランスが存在しています。

 

このことは「家計」(家族運営)にも応用できると思います。

「家計」においても、「調達」と「内製」のバランスを考えていくこと

が大事ではないでしょうか。

 

たとえば、朝ごはん。

朝ごはんひとつをとっても「調達」と「内製」の判断ができます。

パンやおにぎりなどを「購入(調達)」してもよいですし、

ごはんとみそ汁、焼き鮭などを「料理(内製)」しても構いません。

 

これは各家庭の判断によるでしょう。

 

たとえば、子育て。

ベビーシッターや保育園などに「預ける(調達)」することもできるし、

自宅で「面倒をみる(内製)」こともできます。

 

このような細かな部分における「調達」と「内製」の判断の積み重ねが

家庭の個性みたいなもの(ライフスタイル)を作っていくと感じます。

 

ちなみに我が家の方針は、

「内製できるものは内製する」です。

 

たしかに「調達」をしてしまえば楽は楽です。

時間も体力も節約できます。

しかし、調達をすることで失われてしまうものもあります。

それは「技術(スキル)」みたいなものだと思います。

 

たとえば朝ごはんを「調達」で済ませてしまえば、

「料理をする技術」は身に付きません。

 

「技術(スキル)」は家計を運営していくうえでとても大切ですし、

なにより「家庭の個性(ライフスタイル)」を作る上で欠かせないもの

だと思います。

 

少子化について考える

「仕事と家族ー日本はなぜ働きづらく、産みにくいのかー」(筒井淳也)という本を

休みを利用して読み進めています。

 

日本の少子化問題を短絡的に「非婚化」に結び付けず、

社会学の観点から多面的に分析している良い本です。

 

「本書の基本方針は、日本の仕事と家族の現在の居場所を、

国際比較という横向きに広い視点、そして長期推移という

タテ向きに長い視点から眺めてみるというものである。

工業化によって仕事のかたち、家族のかたちが大きく変化するなかで、

戦後の一時期には『安定的に雇用された男性と家庭の責任を持つ女性』

という性別分業体制が各国でスタンダートとなった。

これは先進国が高い経済成長を経験している時期でもあった。

この体制を支えた経済環境は1970年代に崩れ去り、それ以降、

先進国はその道筋をはっきりと分岐させた。

『高負担・高福祉』を堅持したスウェーデンと、『低負担・低福祉』

路線に大きく舵を切ったアメリカという対比がしばしばなされるようになった。

しかしこういった『大きな政府と小さな政府』という対比図式は、

現在の日本のすがたを描き出す尺度としては全く役に立たない、

というのが本書の最も重要な主張である。

その論拠として注目したのが、女性の有償労働への参加の度合い

(いわゆる『女性の社会進出』)と、出生力であった。

スウェーデンとアメリカは、この二つの点において他の国よりも比較的

よいパフォーマンスを発揮してきたからである。

典型的な『大きな政府』の国と典型的な『小さな政府』の国が、

少なくとも現在の日本が抱える大きな課題の面で『お手本』になっているという

事実、あるいは『パズル』を、私たちはどう理解すればよいのか。

性別分業の克服、つまり『共働き社会』への移行、というのが、

本書で導かれた答えである。

女性の労働力参加は、ある時点までは出生力にマイナスの効果を持った。

この負の影響は『両立支援』のための社会的な仕組みによって緩和されてきたが、

ある時点からはむしろ女性が働くこと自体がカップル形成や出生にとってプラスの

効果を発揮しはじめた。女性が結婚・出産後もまとまった所得を稼ぐという

見込みが社会で共有されるようになると、たとえ男性の所得が低くても

カップル形成が可能になるからだ」

 

女性が社会に出て働く、

今の日本では当たり前になりつつありますが、まだ未整備な部分もあります。

たとえば、子育て。

保育園も十分には確保されていません。

女性は「仕事」と「子育て」を両立できるか、

不安に思っています。

 

「仕事と子育ての両立不安」が克服され、

女性が社会で心おきなく働けるようになれば、

少子化は克服されていくでしょう。

 

しかし、この未来の実現には困難も多くあります。

たとえば男性の価値観。社会の価値観。

女性は家庭を守るものだという価値観もまだ残っています。

 

男性の育児参加も課題でしょう。

女性が働くということは男性はその分、家庭の労働を引き受けなければ

いけません。

しかし、これには先例はほとんどありません。

自分の父親は仕事だけをしてきたはず。家庭の仕事を引き受けることは

精神的にも相当の負担をもたらすでしょう。

 

「女性の社会進出」「男性の育児参加」「女性管理職の登用」など、

これらは個別の問題ではなく、少子化という日本が抱える大問題への

関連性のある施策ととらえるべきです。

その上で、個々が問題の解決に取り組んでいくこと。

 

そのためには「社会の共通理解」と「ムーブメント(社会啓蒙)」は

必要だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

地方で雇用を生み出すこと

本社で研修があり、

久しぶりに東京に行ってきました。

 

地方で生活をしていて、

たまに東京に行くと、2つの生活圏の生活の違いが

良くわかります。

 

今回感じたこと。

東京って、本当に人が多いですね。

当たり前ですが。

 

なにかの雑誌で読みましたが、

東京への人口の一極集中の傾向が強まっているそうです。

背景にあるのは「雇用環境」です。

 

東京に仕事があるから東京に行く。

そして東京で生活をする。

そんなシンプルな理屈です。

 

そもそもなぜ東京に仕事が集中するのか。

それは企業が東京にオフィスを構えるから。

東京にオフィスを持つメリットは、

「仕事やしやすい(関連企業・取引先との距離が近い)」

「情報へのアクセスがよい」

「企業のステータスになる」

などでしょう。

 

しかしその影響で東京は「過密」状態です。

電車は異常なほど混んでいますし、あらゆる策を講じても満員電車の問題

を解消できません。

それは東京への人口流入が止まらないからです。

 

人口の一極集中の問題を解決すためには、

「東京から地方へと仕事(雇用)を分散すること」が大事です。

 

雇用を地方に持っていければ、

人はおのずとその場所に住み始めます。

 

問題は「雇用の地域分散」が難しいこと。

理想的にはそうであっても、現実問題として

雇用は都市に集中します。

 

地方や地域の雇用を増やすためには

「その地域の特徴を活かした商品・サービス」を開発し、

全国(世界)に向けて発信、販売していくことです。

 

地方で安く手に入るもので、安く作ったものを、

全国、世界で「高付加価値」で売ること。

これが実現できれば、地方での雇用が生まれます。

 

これも言うは易し、行うは難し。

しかし全国的にみるとモデルケースも出てきています。

特に一次産業を中心に、地方モノがブランド化しています。

山口の獺祭などは良いケースです。

 

地方で「地方で安く手に入るもの」と「全国・世界で必要とされるもの」

を掛け合わせ、商品・サービス化することが大事だなと感じます。

地方で感じた「生活信仰」の大切さ

・・集落では、死者や神や仏が当たり前のように共存している。

集落の人たちはほぼ全員、井戸や厠や山の木など、自分の暮らしを

取り巻くいろいろなもの神が宿っていると信じている。

そして祈っているそれは決して宝くじをあててくださいというような、

利益を求める祈りではない。

周囲の神々に「無事に生かしてくれてありがとう」というお礼の

祈りなのだという。・・(都市と地方をかきまぜる 高橋博之)

 

地方(特に農村)には特定の信仰(宗教信仰)ではなく、

万物に神が宿るという「生活信仰」が生きています。

 

わたしが暮らす福岡県糸島もまだ生活信仰が

色濃く残っています。

 

自然が豊かな場所なので、

自然に対する敬意が生活する人々の中にはあります。

それが神となり、信仰となっています。

 

上述の本を読んでいて、

「宗教信仰」と「生活信仰」の違いを改めて感じました。

 

わたしたち日本人は「信仰」と聞くと、

拒否反応を示してしまいます。

それは「信仰→宗教→洗脳→危ない」という図式を

おのずと描いてしまうからでしょう。

 

日本の戦後は特定宗教の排除から始まっており、

宗教を拒絶する性質は現代を生きるわれわれの中にも

色濃く根付いています。

 

しかし地方で暮らしてみると、

特定の宗教に対する「信仰」ばかりではないと気付きます。

 

人間が生活していて、自然と生まれてくる信仰もあります。

それは「生活信仰」と呼ばれる、特定の神にではないが、

漠然とした万物に対する信仰です。

 

自然(森や川、海、動物、昆虫など)に囲まれて生活をしていると、

生活信仰は(それこそ)自然に生まれてきます。

その信仰には、万物に対する感謝の気持ち、が含まれています。

 

なぜこのような気持ちを自然と抱くようになるのか。

本当に不思議ではあります。しかし、本当に自然と、生まれてくるものなのです。

 

大昔から人間は信仰を持ってきました。

それは特定の神に対する宗教信仰もありますが、

その根源は「生活信仰」にあると感じます。

 

文明や文化が誕生するまえ、

あるいは誕生したばかりのころも、人間は信仰をもっていたでしょう。

そのような気持ちは、自然と生まれてくるものです。

 

都会で生活をしていて、

毎日、通勤している電車に感謝の気持ちを持つでしょうか。

電車に対して、自然と感謝の念を持つでしょうか。

持てない人がほとんどだと思います。

 

しかし、毎日、酸素を供給してくれている森や木々には

自然と感謝の気持ちが沸いてきます。

食べ物を育ててくれる太陽にも、感謝の気持ちが沸きます。

 

この違いは何なのか。

本当に不思議に思います。

 

最後に人間にとって「信仰」は必要か。

わたしは特定の宗教を信仰しているわけではありません。

あえて聞かれれば「無宗教」ですと答えると思います。

(典型的な日本人ですね)

 

ただ、生活の中で「なにかに感謝すること」「信じること」

「ありがたみを感じること」は大事だと思います。

それが地方の生活には自然にある。

では都市には、、と。

 

都市生活では人間が自然に持っているそのような性質が、

また別の形で表れている気もします。

(このあたりは考えてみると面白いかもしれません)

 

 

 

 

老後の安心を得るための一番の近道は「月15万円」の生活

ある雑誌を読んでいたら、

老後に必要な収入は月27万円と書いてありました。

 

その記事では生活費のシュミレーションを示しながら、

最低でも27万円は必要だと説明していました。

 

その記事を読んだ瞬間思ったことは、

27万円も必要か・・?、

ということです。

 

定年後は収入が減少します。

基本的に、今の老後世代は年金で暮らしている人が多いと思いますので、

年金が基本の収入になります。

働いていたころよりは、収入はぐっと落ちるでしょう。

 

収入が27万円も必要な生活を、

定年退職の時点で送ってしまっていることは

とてもリスクです。

なによりも27万円も収入が得られるか、

という不安は誰でも感じます。

 

年金は減額されるかもしれませんし、

その場合、収入を確保する手段はほぼありません。

 

老後の安心を得るために一番必要なことは「必要な生活費用」

を下げることではないでしょうか。

収入を確保することではなく、コストを下げましょう。

 

感覚的には月15万円で持続できる(貯蓄も少し作れるくらい)の

家計がベストでしょう。

この規模の生活ならば、年金収入で維持できますし、

年金が減額されたとしても安心です。

 

老後の安心のためにも、生活コストを下げること。

その大事さを日々感じています。

働かないで稼ぐには

今週発売の「週刊東洋経済」、

「経済を見る眼」のコラムの中でこのような話が書かれていました。

 

『あえてとても大ざっぱにいえば、

今の日本に必要な課題は、いかに働かないで稼げるようにするか

なのだろう。』

 

世の中では過重労働の抑制や労働生産性

女性の社会進出や子育てと仕事の両立などのテーマが

日々、語られています。

 

どの問題にも共通することは

「生産性の向上」、いいかえれば、

「働かないで稼ぐ」ことです。

 

では、働かずに稼ぐにはどうすればよいのか。

そんなに人生は甘くありません。

 

しかし、不労所得を増やす努力をしていくこと、

働かずに得られる収入を確保しようとしていくことは大事です。

 

コラムの中では不労所得を得る資産として、

3つのものを上げています。

 

1:観光資源

 日本国内には観光資源があふれています。

外国人に対して、という点もありますが、地方の魅力を再発見すること、

そしてそれを加工することで国内の人への販売も可能です。

 地方や自分が住んでいる土地の魅力を再発見、加工することで

お金に替えることができるかもしれません。

 

2:知的財産権

 自分にしか作れないものを創作し、知的財産権を守ること、

あるいはブランドを確立することでお金を得ることができます。

 自分の創造力をお金に替えることができるかもしれません。

 

3:データ

 データや情報は資産です。

自分にしか発信できない情報、最新の情報は高い価値を持ちます。

 同時に、地域に根差した情報も価値を持ちます。

データや情報を収集、加工、発信することでお金を得ることができる

かもしれません。

 

この3つの観点から不労所得

得る手段のヒントが得られるかもしれません。

 

個人的には「地域」や「場所」がキーワードに

なってくると感じます。

 

自分が住む場所

→観光資源として活用できないか

→地域の資源を活かして、オリジナルなものを作成できないか

→地域の情報、人脈を形成することができないか

という風にアイデアを考えていけそうです。

 

地方で働かない生活を夢見るならば、

やはり、どこに移住するか、が大事ですね。

 

つくづく、そう感じます。

お金を出せば買えるものを「あえて買わない」ことが豊かさをつくる

里山資本主義という本を読んでいます。

 

生活に必要な全てのものを「お金」で賄う生活ではなく、

食料、エネルギーなど生活に本当に必要なものは「自給」できる生活に

変化させていこう、という点がとても面白いです。

 

実際、今の時代を考えたとき、

お金、つまり、収入を上げることは簡単ではありません。

 

企業の成長も右肩上がりではありませんし、

ましてや給与は毎年上がっていくことも期待できません。

 

そんな労働環境の中で、

生活の豊かさを手に入れるためには「コスト」を下げるしか

ありません。

 

生活の水準を維持しながらも、

生活にかかるコストを減らしていくことで、

暮らしは豊かになっていきます。

 

そのためのひとつの手段は地方での生活です。

地方でローコスト生活をすることで、豊かな生活を手に入れることが

できます。

 

しかしこれは、都会で生活していてもできることではないでしょうか。

生活のコストを見直し、自給できる部分は自給していく。

小さなことでもよいので「自給」の仕組みを生活に落とし込んでいく

ことの大切さを、本を読みながら改めて感じました。

 

我が家では「庭で野菜を栽培」していたり、

妻が「服飾」をしていたりと、少しずつ自給の習慣を取り入れています。

 

最近は近くに海があるので「釣り」をして魚の自給をしたり、

近くの「湧き水」で水の自給をしようかと思っています。

 

自給の習慣、

大事だなと思っています。

(実践していくのがとても大切ですね。

お金を出せば買えてしまうものなので、安易に買ってしまいがちです。

ぐっとこらえて、作ってみる、という発想が大事だなと感じます)