「地方に移住」して気づいた「大切なコト」

東京から地方に移住。移住生活をしながらの気づきを書いていきます。

地方で感じた「生活信仰」の大切さ

・・集落では、死者や神や仏が当たり前のように共存している。

集落の人たちはほぼ全員、井戸や厠や山の木など、自分の暮らしを

取り巻くいろいろなもの神が宿っていると信じている。

そして祈っているそれは決して宝くじをあててくださいというような、

利益を求める祈りではない。

周囲の神々に「無事に生かしてくれてありがとう」というお礼の

祈りなのだという。・・(都市と地方をかきまぜる 高橋博之)

 

地方(特に農村)には特定の信仰(宗教信仰)ではなく、

万物に神が宿るという「生活信仰」が生きています。

 

わたしが暮らす福岡県糸島もまだ生活信仰が

色濃く残っています。

 

自然が豊かな場所なので、

自然に対する敬意が生活する人々の中にはあります。

それが神となり、信仰となっています。

 

上述の本を読んでいて、

「宗教信仰」と「生活信仰」の違いを改めて感じました。

 

わたしたち日本人は「信仰」と聞くと、

拒否反応を示してしまいます。

それは「信仰→宗教→洗脳→危ない」という図式を

おのずと描いてしまうからでしょう。

 

日本の戦後は特定宗教の排除から始まっており、

宗教を拒絶する性質は現代を生きるわれわれの中にも

色濃く根付いています。

 

しかし地方で暮らしてみると、

特定の宗教に対する「信仰」ばかりではないと気付きます。

 

人間が生活していて、自然と生まれてくる信仰もあります。

それは「生活信仰」と呼ばれる、特定の神にではないが、

漠然とした万物に対する信仰です。

 

自然(森や川、海、動物、昆虫など)に囲まれて生活をしていると、

生活信仰は(それこそ)自然に生まれてきます。

その信仰には、万物に対する感謝の気持ち、が含まれています。

 

なぜこのような気持ちを自然と抱くようになるのか。

本当に不思議ではあります。しかし、本当に自然と、生まれてくるものなのです。

 

大昔から人間は信仰を持ってきました。

それは特定の神に対する宗教信仰もありますが、

その根源は「生活信仰」にあると感じます。

 

文明や文化が誕生するまえ、

あるいは誕生したばかりのころも、人間は信仰をもっていたでしょう。

そのような気持ちは、自然と生まれてくるものです。

 

都会で生活をしていて、

毎日、通勤している電車に感謝の気持ちを持つでしょうか。

電車に対して、自然と感謝の念を持つでしょうか。

持てない人がほとんどだと思います。

 

しかし、毎日、酸素を供給してくれている森や木々には

自然と感謝の気持ちが沸いてきます。

食べ物を育ててくれる太陽にも、感謝の気持ちが沸きます。

 

この違いは何なのか。

本当に不思議に思います。

 

最後に人間にとって「信仰」は必要か。

わたしは特定の宗教を信仰しているわけではありません。

あえて聞かれれば「無宗教」ですと答えると思います。

(典型的な日本人ですね)

 

ただ、生活の中で「なにかに感謝すること」「信じること」

「ありがたみを感じること」は大事だと思います。

それが地方の生活には自然にある。

では都市には、、と。

 

都市生活では人間が自然に持っているそのような性質が、

また別の形で表れている気もします。

(このあたりは考えてみると面白いかもしれません)