「地方に移住」して気づいた「大切なコト」

東京から地方に移住。移住生活をしながらの気づきを書いていきます。

地方生活の「楽しみ方」

都会と地方では、

生活の「楽しみ方」がちがうと感じます。

 

刺激や新しさに満ちた都会の生活とは違い、

地方にはまた別の種類の「刺激」があります。

 

たとえば、ぼくは東京に住んでいるときと、

糸島に移住したあとで、

「本の読み方」が変わりました。

 

東京に住んでいるときには、

新刊本の情報がすぐに耳にはいってきます。

通勤電車に乗っていれば、

中づり広告に話題の本の情報がのっています。

 

それらの新しい本の情報は、

好むと好まずにかかわらず、入ってきます。

 

本好きのぼくは、

そのような本の情報を見ると、

ついつい読みたくなってしまいます。

 

本屋さんにたちより、

新しい本を買ってしまいます。

 

新しい本や話題の本をたくさん読む。

それが都会生活での本の楽しみ方でした。

 

一方、

地方での本の楽しみ方は異なります。

 

地方の生活では、

あまり新刊本の情報は目につきません。

本屋さんも実はそんなに身近にありませんので、

ふらっと本屋さんに立ち寄ることも少なくなりました。

(考えてみると、繁華街をぶらぶらする時間も少なくなりました)

 

すると、

新しい本を読みたいという欲求も少なくなります。

 

逆に、ひとつの本をじっくりと読むようになりました。

「早く」読むよりも、時間をかけて「ゆっくり」と読みます。

自分の心にひっかかったこと、気になったところ、

印象にのこった文章は何度も繰り返し読みます。

 

読書をしながら、

ひらめいたこと、考えたことをじっくりとメモをしています。

 

このように、

都会生活のときと、地方での生活では

「本の読み方=楽しみ方」が変化しました。

 

これは本に限ったことではないと感じます。

 

生活のさまざまな場面で、

生活の「楽しみ方」が変わりました。

地方の生活は「シンプル」

地方の生活は都会ほど、

「選択肢が多く」ありません。

 

つまり、

地方の生活は「シンプル」です。

 

「シンプル」とは、

いい意味で言えば「迷いがなく」、

悪い意味でいえば「単調」です。

 

具体的にいえば、

ぼくの家の近所にはコンビニは1軒しかありません。

家から徒歩10分ほどのところにファミリーマートがひとつあります。

 

もちろん、

もっと遠くに行けばほかのコンビニもありますが、

徒歩圏内にあるのは1軒だけです。

 

東京の高田馬場に住んでいたときは、

徒歩圏内にコンビニが5軒以上ありました。

それこそ、コンビニの大手はすべてそろっていましたし、

セブンにいたっては近所に2軒もありました。

 

いまの生活のなかで、

コンビニに行きたいと思うと、近所の1軒に行くしかありません。

 

このように地方の生活は「選択肢が多くない」ぶん、

生活は「シンプル」になっていきます。

 

「シンプル」とは、

「毎日の出来事が(ほぼ)決まっている」ということです。

 

たとえば、

朝、何時に起きて、何時にご飯を食べ、何時に寝るか。

どこに買い物に行き、何を買い、誰と出会い、誰と話すか。

 

地方での生活において、

これらのことは「(ほぼ)決まり事」になります。

 

スーパーに行けば、

近所に住んでいる人に会います。

買い物はいつもの納豆を買います。

 

都会の生活でも、

「決まり事」がありますが、

地方でのそれは、

もっと多いと感じます。

 

その意味で、

地方の生活は「シンプル」です。

 

変化がなく、

落ち着いています。

 

毎日、変化に満ち満ちた生活を送りたい。

そう考えている人にとっては物足りないかもしれません。

 

毎日、違う人に会って、

新しい世界を広げていきたい。

そう考える人も、いると思います。

 

一方、

そんな刺激の多い毎日にうんざりしている人にとっては、

過ごしやすい場所です。

ぼくはどちらかといえば後者です。

 

しかし、

地方の生活に「変化」や「刺激」、

「新しさ」がないかといえば、それも違うかと思います。

 

地方の生活では、

都会とは違った「刺激」や「新しさ」があります。

 

「選択肢が多い=豊かさ」ではない

都会の生活ほど、

地方はモノにあふれていません。

 

だから、

都会は地方よりも豊かだとか、

地方は都会よりも劣っていると考えるは誤りだと思います。

 

モノがあふれている都会を「豊か」だと感じるのは、

その前提に「選択肢が多い=豊か」があるからです。

 

たとえば商品ひとつを購入するときでも、

ひとつだけよりも多くの中からひとつの商品を選ぶほうが

豊か(リッチな気分)だとぼくたちは感じます。

 

逆に限られた選択肢しか存在しなければ

それは豊かではありません。

 

このような「選択肢の多さ=豊かさ」という考えは、

資本主義社会が企業間の競争を生み、

人々にたくさんの商品やサービスを供給した結果です。

 

しかし果たして、

「選択肢の多さ=豊かさ」という前提は

正しいのでしょうか。

 

いいかえれば、

「選択肢が多くなればなるほど、ぼくたちは幸福になる」

のでしょうか。

 

ぼくはNoだと思います。

 

選択肢が多ければ、人は幸せになるとは限りません。

むしろ、様々な選択肢の中で人は迷い、ストレスを感じ、他人の選択に嫉妬を感じ、不満を抱えます。

 

「あらゆる選択肢が飽和化した現代」において、

ぼくたちが求めているのは「シンプルさ」「明確さ」ではないでしょうか。

 

選択肢は多くなくてもよい。

しかし、自分にとって本当に必要なものがほしい。

 

賢い消費者は、本当に必要なものだけを購買しています。

劣悪な商品は駆逐され、ブランドのある商品だけが残ります。

 

地方の生活は「明確さ」を持っています。

「シンプルさ」を持っています。

 

それを単調で退屈だと感じるか、

本当の豊かさだと感じるか。

 

ここが肝だと思います。

「カラオケ」が必要か

地方で生活をしていると、

「足りないもの」や「ないもの」がたくさんあります。

 

ぼくは以前、

東京の高田馬場に住んでいました。

学生時代のころです。

 

高田馬場は都内でも有数の学生街です。

夜中でも、街のネオンは消えません。

24時間営業のお店があちこちにあり、娯楽施設もたくさんあります。

遊ぶのに事欠くことはありません。

 

しかし、

今、ぼくが住んでいる福岡県糸島市

そんな場所ではありません。

 

駅前に飲み屋さんもカラオケもありません。

駅からちょっと離れたところにコンビニがある程度。

 

かわりに地方にあるのは古民家や田んぼ、

畑などです。

これらのものがかなりの面積を占めています。

夜は静かで、街の光は信号灯くらいなものです。

 

でも考えてみると、

24時間営業の居酒屋も、

カラオケも、

生活に本当に必要なものでしょうか。

 

あればあったでよいですが

なければないで全然かまいません。

少なくともぼくはなくても不満なく生活できています。

 

地方には地方の「生活」があります。

それは物に満たされた生活ではありませんが、

生活を送る上で必要最低限のものはある「生活」です。

 

都会に住み、物があふれた生活に慣れた人から見れば

物足りなく感じるかもしれませんが、

なければないで大丈夫、という人にはよい環境です。

 

むしろぼくは都会のそのようなもの(カラオケとか)

をうるさく感じていた人間なので、

派手な看板やネオンを見なくて済むのは心地よいです。

 

モノにあふれた「都会」か、

必要最低限の「地方」か。

これは大事な違いだと感じます。

 

 

「地方暮らし」の「幸福のものさし」

たとえば、
ある人Aがある場所Hに移住をしました。
AはHでの暮らしに満足し、
幸福な人生を送りました。

 

ある人Bが同じ場所Hに移住をしてきました。
BはHでの暮らしに不満を感じ、
不幸な人生を送りました。

 

ある場所Hは、
東京かもしれません。
北海道かもしれません。
あるいは海外の街かもしれません。

 

「人」と「場所」には相性があります。

 

それは「人」と「会社」の関係に近いかもしれません。
人と会社に相性があるように、
人と場所にも相性があるのです。

 

一世代前までは、
「大企業」に就職し、人生を送ることが幸福でした。

場所でいえば「東京」(大型都市)に住むことが、
理想的な生活だとされていました。

 

しかし、
そのような「大都市的生活」がすべての人に幸福をもたらすのか、
という疑問が生まれてきました。

 

大都市は大都市の魅力があります。
東京には東京にしかない魅力があります。

 

一方で、
「大都市的生活」は万人に幸福をもたすことはありません。

 

大都市Hに相性が良い人には幸福ですが、
相性が悪い人ももちろんいます。

 

ぼくはどちらかといえば、
後者の人間でした。

 

生まれも育ちもいわゆる「東京」ですが、
幼い頃からなんとなく「東京の生活」に居心地の悪さを感じていました。

 

そもそも
「人混み」が大嫌いでした。

満員電車も大嫌いでした。

 

しかし、東京で生活をするためには
それらのものは避けることができません。

 

就職し、社会人になった後も、
東京で過ごすうえでは「仕方のないもの」として受け入れていました。

 

しかし、
どこかで「疑問」もありました。
このままこの「土地」で暮らしていくのか。
果たして自分にとって、東京は「最適」な場所なのか。

 

悩んだ結果、
ぼくは「移住」の選択をしました。

 

僕にとって、幸福をもたらしてくれる場所Hは、
東京ではないと判断しました。

 

ぼくにとっての場所Hは、
福岡県糸島市でした。

 

この場所に移住してきて本当によかったと感じています。
移住する前はもちろん、迷いもたくさんありました。

 

しかし結果的に、
ぼくは、自分が幸福になれる場所Hを見つけることができたと感じています。

 

「人」と「住む場所」の相性。
これは、ぼくにとって最も興味のあることのひとつです。

 

東京での生活と、
糸島での生活を比べながら、
「地方での生活」は「どんな幸福のものさし」を持っているのか
を考えていきたいと思います。