「地方に移住」して気づいた「大切なコト」

東京から地方に移住。移住生活をしながらの気づきを書いていきます。

地方には「地域」で子供を育てる意識がある

子供が5か月になりました。

寝返りを習得し、少しずつ動くようになってきました。

 

周囲のものをよく見て、

よく笑います。

 

地方に移住するときに、悩みどころになるのが、

子供の養育環境ではないでしょうか。

 

地方は情報が少なく、子育て環境としては

適さないのではないか、と考える人もいます。

確かに学校の数も限られていますし、教育環境では

都会に劣る部分もあるかなと感じます。

 

一方で、地方にしかない子育ての魅力もあります。

 

まず「地域で子供を育てる」意識が強いこと。

都会に住んでたころは、マンション暮らしのせいもありましたが、

なかなか地域の人と交流する機会はありませんでした。

 

地方に越してきて、近所の人とのつながりがぐっと増えました。

同時に、子供のことを知ってくれ、いつも気にかけてくれています。

お向かいさんから使わなくなった子育て用具をもらうこともあります。

 

思うに、地域の中で子供を育てる、という意識が、

強くあるように感じます。

これは都会の生活ではあまりないものです。

 

また、地方は子供にとっての刺激がないと思いがちですが、

「自然」(あるいはその変化)は子供にとって最大の刺激です。

 

子供を抱いて、庭を見せていると、子供は飽きることなくずっと庭の様子を

見ています。室内の景色や絵本も大事ですが、自然の景色にこそ、子供を

ひきつける刺激がたっぷり含まれているのだなと思います。

 

子育て環境としても地方は魅力的だと

最近つくづく感じています。

 

自分の素直な「感情」に耳を傾ける

ひとは「感情を持つ生きもの」です。

これは当たり前のことですが、

忙しい毎日を送っていると、つい忘れてしまいます。

 

自分が今、どんな感情をもっているのか。

なにを感じているのか。

朝はどんな気持ちで、昼はどんな気持ちなのか。

 

自分の感情に耳を傾け、その声を聴くことはとても大切です。

 

忙しく毎日を送っていると、

知らず知らずのうちに、感情を押し殺していることもあります。

 

たとえば仕事をしているとき。

仕事上の対人関係で、自分の感情をストレートに表現できることは

ありません。

多かれ少なかれ、周囲に気を使い、感情を押し殺して、

仕事をしています。

 

仕事ばっかりしていると、おかしくなるもの当然です。

自分の感情を押し殺してばかりの生活をしていれば、

ひとはやっぱりおかしくなってしまいます。

 

生活がゆっくりになり、

周囲が静かになると、自分の感情の声が聞こえてきます。

 

自分の感情に耳を傾ける時間、

そんなゆっくりした時間が人生には必要だと思います。

 

 

 

「対立しない」生き方

地方で暮らしていると、

「対立しない」ということが大事だなと

感じてきます。

 

対立する、といっても、

人間関係の話ではありません。

 

大きく3つのことと「対立しない」ことが

大事だなと感じます。

 

1:「身体」と対立しない

 

人間は身体を持つ生きものです。

身体の調子や流れ、状態に逆らって生きることはできません。

 

どれだけ大志を抱いていても、

身体が健康でなければ、それを実現することはできません。

 

人間は身体的な限界を持った生きものです。

自分の身体の声を聴きながら生きていく必要があります。

 

例えば、体調不良のとき。

これは休むしかありません。

身体の声にしっかりと耳を傾け、身体と「対立しない」ことが大事です。

 

2:「自然」と対立しない

 

人間は自然環境の中で生きています。

自然の原理に逆らうことはできません。

 

想像したくもありませんが、

自然災害の前では人間は無力です。

 

ほかの生き物と同じように、

人間も生きものです。

 

自然の圧倒的な力の前では、

その力に従うほかありません。

 

例えば都会の「タワーマンション」。

あんなに高い場所に人間は住む必要はありません。

高い場所に住むことは、人間にとってはリスクしかありません。

自然環境に逆らった生き方の一例だと思います。

 

3:「時間」と対立しない

 

最後は「時間」です。

時間は万人、万物にとって平等に流れていきます。

 

この時間の流れに逆らって生きることはできません。

 

生きものには寿命があり、

年齢を重ねるにつれて衰えていきます。

 

例えば年齢に逆らって「不老を望むこと」「永遠に若くいようとすること」

は時間の流れに逆らっています。

 

いい年をして、若作りをする女性が醜く見えるのは

彼女が時間という逆らえないものに逆らおうとしているからです。

 

時間の流れには誰も逆らえません。

時間と「対立しない」で生きていくのです。

 

「身体」「自然」「時間」。

この3つと対立せずに生きること。

 

地方で暮らしていると、

その大事さがわかってきます。

 

 

 

 

なぜ地方移住者の「朝は早い」のか

地方に暮らしていると、

朝起きるのが「早く」なります。

 

これは不思議なことですが、

地方移住者に聞いてみると、やっぱり朝が早くなるみたいです。

聞いているかぎりでは遅くとも「6時」には起床している人が多いです。

 

なぜ田舎の朝は早いのか。

これは単純なようで、深い問いですね。

 

私が思うに、

田舎の朝が早いのは、夜寝るもの「早い」からだと思います。

 

夜早く寝て、朝早く起きる。

そのリズムが田舎には自然とあります。

 

昔から人間は日が昇ったら起きて、

日がおちたら寝る生活をしていたわけなので、

夜早く寝て朝早く起きるのは「人間にとって自然なリズム」なのです。

 

東京で働き、暮らしていたころは、

そもそも「寝る時間」が不規則でした。

 

サラリーマンだったので飲み会もありますのし、

残業もあります。飲み会の日には終電にも間に合わず、

漫画喫茶で朝を迎えることもしばしばありました。

今考えると、よくそんな生活していたなと思います。

(漫画喫茶に泊まる料金も馬鹿になりませんし、

あんなところで寝て、疲れが取れるわけありませんね)

 

地方の飲み会は都会と比べると、

節度があるように感じます。終電を逃すまで飲むことは

ありません。みんな、そこそこ飲んで、帰ります。

ストレスがそんな溜まってないのかもしれませんね。

 

なので、

地方に住んでいる人は「早く寝る」ことができるわけです。

すると、自然に朝は早く起きます。

 

このような生活サイクルに身体が順応してくると、

身体の調子が良くなります。

食欲も出ますし、気持ちも前向きになります。

落ち込むことも少なくなります。

 

地方に住むと、

生活リズムの大事さを痛感します。

「大きな仕事」よりも「小さくても誇れる仕事」

東京とはじめとする都会に住んでいると、

「大きな仕事」をすることができます。

 

「大きな仕事」とは簡単にいえば、

「大きなお金を動かす仕事」です。

 

たとえば、

不動産会社であれば都会で仕事をしていれば、

大型のタワーマンションや地域開発のプロジェクトを任されることも

あると思います。

 

田舎の不動産屋さんでは、

そんな仕事はできないでしょう。

 

しかし、

地方では「大きなお金を動かす仕事」はできませんが、

「ひとりひとりに寄り添った仕事」をすることができます。

 

高いタワーマンションを立てるプロジェクトを任されることはありませんが、

良い家を探す若者の手伝いを満足してもらえるまで続けることができます。

 

「大きな仕事」ではなく、

「小さくても誇れる仕事」が地方は田舎にはあると思います。

 

私も都会に住んでいたころは「大きな投資が必要な仕事」をしていました。

しかし、地方に移住してみて、そのような仕事よりも、目の前のひとりひとりのために顔をみてする仕事のほうがやりがいがあると感じています。

 

一般的には大きな仕事をすることに人は惹かれます。

でも、自分はそうではない、という人は地方での生活に

向いているかもしれません。

 

会社を「使って」人生を豊かにする

「会社」と「個人」の関係性は、

時代とともに変化しています。

 

ひと昔まえ、

ひとつの企業で人生を終えることができた時代、

つまり、終身雇用制が機能していた時代であれば、

個人はひとつの企業に人生のすべてをゆだねることができました。

 

しかし、

時代は変化し、終身雇用制度はほとんどの企業で崩壊しています。

 

企業にとって終身雇用制度は「人件費の無駄遣い」に他なりません。

生産性の高い20-40代の社員の給与を低くし、

生産性の低い50-60代の社員に高い給与を支払うのが

終身雇用制の仕組みだからです。

 

右肩上がりの経済成長を遂げていた時代ならば、

企業にも余裕があり、終身雇用制を維持していくことができました。

 

しかし、今は違います。

 

企業も「稼ぐ人に高給与、稼がない人には低給与」

の仕組みに変化しています。

年齢や勤続年数に関係なく、能力に応じて給与が変動していきます。

「実力制」「能力制」へと人事制度は変化しています。

 

このような時代変化のもとで、

個人へ企業をどのようにとらえるべきでしょうか。

 

私は個人も「企業を利用する」視点が大事だと思います。

ただ盲目的に企業を「信じる」のではなく、

企業を意識的に「使う」意識が大事です。

 

企業を「使う」ためには、

まず自分は企業に何を求めるのかを明確にしなければいけません。

 

具体的には「どのくらいの労働時間」で「どのくらいの給与」

をもらえるか。

「福利厚生」「そのほかの制度」はどのような形か、などです。

 

そして、もし企業が与える条件が自分の求める条件と違うのであれば、

ほかの企業に変更する(転職する)判断が大切です。

世の中には無数の企業があります。

その無数の企業の中から「自分にとって最適な企業」を見つけることが

大事です。

 

例えば「転勤制度」も利用することができます。

私も「転勤制度」を利用して、地方に移住しました。

転勤制度に乗っかれば、引っ越しの費用や当初の家賃負担などを抑えて

移住することができます。

 

このように企業を「使う」視点を持つことが、

地方で生きる上でもとても大事だと感じます。

会社は「しょせん」会社である

会社に勤めていると、

その会社のルールが自然と身体に染みついてきます。

 

新卒で入社した会社の「働き方」が、

その後の個人のキャリアに大きな影響を与えるのも

このためでしょう。

 

私は新卒で東京の銀座に本社を置く

リクルート系企業に就職しました。

 

その後、3年間その会社で勤め、

2回転職をして、現在は福岡県の糸島市に暮らしています。

 

新卒で入社した会社の3年間は本当に大事な期間でした。

この期間で社会人の基礎ができたと思います。

 

一方で、新卒で入社した会社はいわゆる「会社人間」

ワーカホリックといってもいいかもしれません)がほとんどの

会社でした。

 

残業という概念もあまりなく、

成果を出すことがすべての会社でした。

 

私も「休みはなくて当たり前」だと思っていましたので、

ほとんど毎日働いていました。

 

転職し、東京の生活から離れ、

当時を振り返ってみると、やはりそのときの働き方は

異常だったなと思います。

 

社会人としての「成長」はあったと思います。

資本主義社会の中でどのようにお金を稼ぐのか、

その基礎を身に着けたのは間違いなくその期間でした。

 

一方で、個人としての生活をつくり、

幸福な生活を作っていくための「働き方」ではありませんでした。

少なくとも、ぼくにはそう感じました。

 

会社は「すべて」ではありません。

個人の生活を構築する上では、会社以外の要素がたくさんあります。

 

それは、

地域や家族や趣味など。

 

会社だけが個人を幸福にするかというと、

そうではありません。

 

会社は「しょせん」会社だと思います。

 

そのような割り切りが大事だなと感じます。