「地方に移住」して気づいた「大切なコト」

東京から地方に移住。移住生活をしながらの気づきを書いていきます。

なぜ「都会では子供を育てにくい」のか

都会に暮らしているとき、

ご近所さんたちと接点を持つ機会はほとんどありませんでした。

 

もちろん、子供もまだいなかったので、

それも大きな要因かと思いますが、

近所同士の交流は「挨拶程度」なものでした。

 

都会で子育てをしている人に聞いてみても、

やはり場所によっては地域交流はないみたいです。

 

特に、単身世帯が多く住んでいるエリアに住んでいる人は、

極端に交流がすくないようです。

 

考えみると、

単身世帯の人は別に近所の子供と交流など持ちたくありませんし、

ともすれば「ただのうるさい子供」と思いがちです。

 

都会での子供の育てにくさ、の根本原因は

このあたりにある気がします。

 

子育て世帯が居住するエリアに一戸建てでも買えればよいのですが、

都会で一戸建てとなれば4000-5000万円はします。

なかなかこの価格帯の家に手が出せる世帯は多くありません。

 

そんな人たちの助け舟になったのが「団地」です。

子育て世帯が多く住んでいて、かつ、リーズナブルな住宅。

そんな機能を団地が担っていました。

しかし、団地はイメージとして「古臭く」、実際に建てられてから

かなりの年月が経過しているものがほとんどです。

 

今の若い子育て世代で団地に住みたがる人はほとんどいません。

 

そのような背景があり、

都会の若い子育て世代は単身者が住むエリアに、

なくなく住むことになる。

すると、地域交流が少なく、孤立した子育てになる。

もちろん、おじいちゃんおばあちゃんと離れて暮らしている

ことも影響します。

 

これが都会での子育てしにくさの要因ではないでしょうか。

 

子供を育てる上でとにかく大事なことは「環境」であり、

「住む場所」だとぼくは思います。

都会には今、それに適した場所が少ない(あるいはあっても地価が

高すぎる)。

 

だからこそ、

子育て環境として都会以外の土地、

地方の魅力は相対的に上がってきます。

 

もちろん都会で子供を育てられれば、それはよいことですが、

都会の育てにくい環境で育てるより、地方の育てやすい環境のほうが

魅力的に見える場合もあります。

 

今度、子育ての場所として、

地方は魅力的な場所になるのではないでしょうか。

 

「地域」が社会福祉の基盤になっている

地方で生活をしていると、

「地域」というものの機能と価値について

あらためて考えさせられます。

 

東京で暮らしていたころにはほとんど考えもしませんでしたが、

ひとが生活していく上で「地域」というものは

本当に大事だなと感じます。

 

例えば、老後の生活を考えてみます。

都市生活者にとって、老後の生活の最も頼りにしている

ものは「年金」です。

 

日本は年金制度が、現状は比較的しっかりとしていますので、

老後は国から年金をもらって生活することができます。

老後に年金をもらうためにそれまでの間、

こつこつと働くと言ってもいいかもしれません。

 

しかし、老後の生活を支えるのは「年金」だけではありません。

むしろ、年金は未来において、極めて不安定なものだと思います。

(現に、高齢者の貧困割合は年々増加していますし、

今後は爆発的に増えていくでしょう) 

 

地方で生活していると、

高齢者が「年金」ではなく「地域」(地域という関係性の資産)

によって、老後を豊かに暮らしているとわかります。

 

具体的には、

地域が社会保障の基礎(たとえば相互に助け合う、

食べ物などをおすそわけする、高齢者をいたわる など)

の機能を担っています。

 

都会生活では「金銭」を支払ってしか手に入らない

社会保障の基盤が、地方では地域の関係性の中で成立しているのです。

 

これは日本の今後の社会保障のありかたを

考える上でも大事だなと思います。

単に年金の金額うんぬんではなく、それ以上に大切な社会保障

デザイン設計のヒントがあるように感じます。

地方には「地域」で子供を育てる意識がある

子供が5か月になりました。

寝返りを習得し、少しずつ動くようになってきました。

 

周囲のものをよく見て、

よく笑います。

 

地方に移住するときに、悩みどころになるのが、

子供の養育環境ではないでしょうか。

 

地方は情報が少なく、子育て環境としては

適さないのではないか、と考える人もいます。

確かに学校の数も限られていますし、教育環境では

都会に劣る部分もあるかなと感じます。

 

一方で、地方にしかない子育ての魅力もあります。

 

まず「地域で子供を育てる」意識が強いこと。

都会に住んでたころは、マンション暮らしのせいもありましたが、

なかなか地域の人と交流する機会はありませんでした。

 

地方に越してきて、近所の人とのつながりがぐっと増えました。

同時に、子供のことを知ってくれ、いつも気にかけてくれています。

お向かいさんから使わなくなった子育て用具をもらうこともあります。

 

思うに、地域の中で子供を育てる、という意識が、

強くあるように感じます。

これは都会の生活ではあまりないものです。

 

また、地方は子供にとっての刺激がないと思いがちですが、

「自然」(あるいはその変化)は子供にとって最大の刺激です。

 

子供を抱いて、庭を見せていると、子供は飽きることなくずっと庭の様子を

見ています。室内の景色や絵本も大事ですが、自然の景色にこそ、子供を

ひきつける刺激がたっぷり含まれているのだなと思います。

 

子育て環境としても地方は魅力的だと

最近つくづく感じています。

 

自分の素直な「感情」に耳を傾ける

ひとは「感情を持つ生きもの」です。

これは当たり前のことですが、

忙しい毎日を送っていると、つい忘れてしまいます。

 

自分が今、どんな感情をもっているのか。

なにを感じているのか。

朝はどんな気持ちで、昼はどんな気持ちなのか。

 

自分の感情に耳を傾け、その声を聴くことはとても大切です。

 

忙しく毎日を送っていると、

知らず知らずのうちに、感情を押し殺していることもあります。

 

たとえば仕事をしているとき。

仕事上の対人関係で、自分の感情をストレートに表現できることは

ありません。

多かれ少なかれ、周囲に気を使い、感情を押し殺して、

仕事をしています。

 

仕事ばっかりしていると、おかしくなるもの当然です。

自分の感情を押し殺してばかりの生活をしていれば、

ひとはやっぱりおかしくなってしまいます。

 

生活がゆっくりになり、

周囲が静かになると、自分の感情の声が聞こえてきます。

 

自分の感情に耳を傾ける時間、

そんなゆっくりした時間が人生には必要だと思います。

 

 

 

「対立しない」生き方

地方で暮らしていると、

「対立しない」ということが大事だなと

感じてきます。

 

対立する、といっても、

人間関係の話ではありません。

 

大きく3つのことと「対立しない」ことが

大事だなと感じます。

 

1:「身体」と対立しない

 

人間は身体を持つ生きものです。

身体の調子や流れ、状態に逆らって生きることはできません。

 

どれだけ大志を抱いていても、

身体が健康でなければ、それを実現することはできません。

 

人間は身体的な限界を持った生きものです。

自分の身体の声を聴きながら生きていく必要があります。

 

例えば、体調不良のとき。

これは休むしかありません。

身体の声にしっかりと耳を傾け、身体と「対立しない」ことが大事です。

 

2:「自然」と対立しない

 

人間は自然環境の中で生きています。

自然の原理に逆らうことはできません。

 

想像したくもありませんが、

自然災害の前では人間は無力です。

 

ほかの生き物と同じように、

人間も生きものです。

 

自然の圧倒的な力の前では、

その力に従うほかありません。

 

例えば都会の「タワーマンション」。

あんなに高い場所に人間は住む必要はありません。

高い場所に住むことは、人間にとってはリスクしかありません。

自然環境に逆らった生き方の一例だと思います。

 

3:「時間」と対立しない

 

最後は「時間」です。

時間は万人、万物にとって平等に流れていきます。

 

この時間の流れに逆らって生きることはできません。

 

生きものには寿命があり、

年齢を重ねるにつれて衰えていきます。

 

例えば年齢に逆らって「不老を望むこと」「永遠に若くいようとすること」

は時間の流れに逆らっています。

 

いい年をして、若作りをする女性が醜く見えるのは

彼女が時間という逆らえないものに逆らおうとしているからです。

 

時間の流れには誰も逆らえません。

時間と「対立しない」で生きていくのです。

 

「身体」「自然」「時間」。

この3つと対立せずに生きること。

 

地方で暮らしていると、

その大事さがわかってきます。

 

 

 

 

なぜ地方移住者の「朝は早い」のか

地方に暮らしていると、

朝起きるのが「早く」なります。

 

これは不思議なことですが、

地方移住者に聞いてみると、やっぱり朝が早くなるみたいです。

聞いているかぎりでは遅くとも「6時」には起床している人が多いです。

 

なぜ田舎の朝は早いのか。

これは単純なようで、深い問いですね。

 

私が思うに、

田舎の朝が早いのは、夜寝るもの「早い」からだと思います。

 

夜早く寝て、朝早く起きる。

そのリズムが田舎には自然とあります。

 

昔から人間は日が昇ったら起きて、

日がおちたら寝る生活をしていたわけなので、

夜早く寝て朝早く起きるのは「人間にとって自然なリズム」なのです。

 

東京で働き、暮らしていたころは、

そもそも「寝る時間」が不規則でした。

 

サラリーマンだったので飲み会もありますのし、

残業もあります。飲み会の日には終電にも間に合わず、

漫画喫茶で朝を迎えることもしばしばありました。

今考えると、よくそんな生活していたなと思います。

(漫画喫茶に泊まる料金も馬鹿になりませんし、

あんなところで寝て、疲れが取れるわけありませんね)

 

地方の飲み会は都会と比べると、

節度があるように感じます。終電を逃すまで飲むことは

ありません。みんな、そこそこ飲んで、帰ります。

ストレスがそんな溜まってないのかもしれませんね。

 

なので、

地方に住んでいる人は「早く寝る」ことができるわけです。

すると、自然に朝は早く起きます。

 

このような生活サイクルに身体が順応してくると、

身体の調子が良くなります。

食欲も出ますし、気持ちも前向きになります。

落ち込むことも少なくなります。

 

地方に住むと、

生活リズムの大事さを痛感します。

「大きな仕事」よりも「小さくても誇れる仕事」

東京とはじめとする都会に住んでいると、

「大きな仕事」をすることができます。

 

「大きな仕事」とは簡単にいえば、

「大きなお金を動かす仕事」です。

 

たとえば、

不動産会社であれば都会で仕事をしていれば、

大型のタワーマンションや地域開発のプロジェクトを任されることも

あると思います。

 

田舎の不動産屋さんでは、

そんな仕事はできないでしょう。

 

しかし、

地方では「大きなお金を動かす仕事」はできませんが、

「ひとりひとりに寄り添った仕事」をすることができます。

 

高いタワーマンションを立てるプロジェクトを任されることはありませんが、

良い家を探す若者の手伝いを満足してもらえるまで続けることができます。

 

「大きな仕事」ではなく、

「小さくても誇れる仕事」が地方は田舎にはあると思います。

 

私も都会に住んでいたころは「大きな投資が必要な仕事」をしていました。

しかし、地方に移住してみて、そのような仕事よりも、目の前のひとりひとりのために顔をみてする仕事のほうがやりがいがあると感じています。

 

一般的には大きな仕事をすることに人は惹かれます。

でも、自分はそうではない、という人は地方での生活に

向いているかもしれません。