「地方に移住」して気づいた「大切なコト」

東京から地方に移住。移住生活をしながらの気づきを書いていきます。

会社を「使って」人生を豊かにする

「会社」と「個人」の関係性は、

時代とともに変化しています。

 

ひと昔まえ、

ひとつの企業で人生を終えることができた時代、

つまり、終身雇用制が機能していた時代であれば、

個人はひとつの企業に人生のすべてをゆだねることができました。

 

しかし、

時代は変化し、終身雇用制度はほとんどの企業で崩壊しています。

 

企業にとって終身雇用制度は「人件費の無駄遣い」に他なりません。

生産性の高い20-40代の社員の給与を低くし、

生産性の低い50-60代の社員に高い給与を支払うのが

終身雇用制の仕組みだからです。

 

右肩上がりの経済成長を遂げていた時代ならば、

企業にも余裕があり、終身雇用制を維持していくことができました。

 

しかし、今は違います。

 

企業も「稼ぐ人に高給与、稼がない人には低給与」

の仕組みに変化しています。

年齢や勤続年数に関係なく、能力に応じて給与が変動していきます。

「実力制」「能力制」へと人事制度は変化しています。

 

このような時代変化のもとで、

個人へ企業をどのようにとらえるべきでしょうか。

 

私は個人も「企業を利用する」視点が大事だと思います。

ただ盲目的に企業を「信じる」のではなく、

企業を意識的に「使う」意識が大事です。

 

企業を「使う」ためには、

まず自分は企業に何を求めるのかを明確にしなければいけません。

 

具体的には「どのくらいの労働時間」で「どのくらいの給与」

をもらえるか。

「福利厚生」「そのほかの制度」はどのような形か、などです。

 

そして、もし企業が与える条件が自分の求める条件と違うのであれば、

ほかの企業に変更する(転職する)判断が大切です。

世の中には無数の企業があります。

その無数の企業の中から「自分にとって最適な企業」を見つけることが

大事です。

 

例えば「転勤制度」も利用することができます。

私も「転勤制度」を利用して、地方に移住しました。

転勤制度に乗っかれば、引っ越しの費用や当初の家賃負担などを抑えて

移住することができます。

 

このように企業を「使う」視点を持つことが、

地方で生きる上でもとても大事だと感じます。

会社は「しょせん」会社である

会社に勤めていると、

その会社のルールが自然と身体に染みついてきます。

 

新卒で入社した会社の「働き方」が、

その後の個人のキャリアに大きな影響を与えるのも

このためでしょう。

 

私は新卒で東京の銀座に本社を置く

リクルート系企業に就職しました。

 

その後、3年間その会社で勤め、

2回転職をして、現在は福岡県の糸島市に暮らしています。

 

新卒で入社した会社の3年間は本当に大事な期間でした。

この期間で社会人の基礎ができたと思います。

 

一方で、新卒で入社した会社はいわゆる「会社人間」

ワーカホリックといってもいいかもしれません)がほとんどの

会社でした。

 

残業という概念もあまりなく、

成果を出すことがすべての会社でした。

 

私も「休みはなくて当たり前」だと思っていましたので、

ほとんど毎日働いていました。

 

転職し、東京の生活から離れ、

当時を振り返ってみると、やはりそのときの働き方は

異常だったなと思います。

 

社会人としての「成長」はあったと思います。

資本主義社会の中でどのようにお金を稼ぐのか、

その基礎を身に着けたのは間違いなくその期間でした。

 

一方で、個人としての生活をつくり、

幸福な生活を作っていくための「働き方」ではありませんでした。

少なくとも、ぼくにはそう感じました。

 

会社は「すべて」ではありません。

個人の生活を構築する上では、会社以外の要素がたくさんあります。

 

それは、

地域や家族や趣味など。

 

会社だけが個人を幸福にするかというと、

そうではありません。

 

会社は「しょせん」会社だと思います。

 

そのような割り切りが大事だなと感じます。

 

地方には「リスク分散」の知恵がある

多くの人は、

ひとつの企業から収入を得るかたちで生活を送っています。

 

企業に雇用され、

企業から支払われる月の給与で生計を立てています。

 

これは当たり前のように思えますが、

改めて考えてみると、不思議なものです。

 

収入や実入りを「ひとつのもの」に依存するのは、

リスクが大きく、万が一会社が倒産したら収入はなくなってしまいます。

 

地方で生活をしてみると、

収入や実入りをひとつに依存することがリスクだということが

身に染みて分かってきます。

 

例えば、

畑で野菜を育てるときにも、1種類の野菜だけを育てることは

しません。

もし病気などでその種類の野菜がやられてしまったら、

全滅してしまうことになります。

 

なので、リスク分散の観点から、

畑では複数の種類の野菜を育てます。

 

収入的にも、そのほうが安定します。

ひとつの種類の野菜に特化してしまうと、

その野菜の価格が下がったときに、影響をモロに受けることになります。

だから、農家は複数の野菜を育て、変化に対応します。

 

このように地方生活は、

リスクをうまいこと分散して成り立っています。

リスク分散の知恵が、生活の様々な場面で見て取ることができます。

 

振り返ってみると、

都会生活は「ひとつに集中する」という生活スタイルなのかもしれません。

 

会社のオフィスも新宿や新橋など一部の地域に集中しています。

 

個人のライフスタイルを考えても、

ひとつの会社に所属し、その会社に忠誠を誓い、

家族や私生活よりも労働を重視します。

 

そのような都会型の「集中的生活」は一方では楽かもしれませんが、

大きなリスクもはらんでいる気がします。

 

特にこれからは変化の時代です。

どんな会社も永続的に存在するとは限りません。

 

まずは収入をひとつの会社から複数へと分散していくこと、

それが大事だなと改めて感じます。

 

 

地方では「収入」を「複数から得る」ことが大事

 

地方生活では、

支出、つまり、出ていくお金を抑えることができます。

 

居住費や食費などの生活コストが低いので、

ぜいたくをしなければ自然と支出は減っていきます。

 

とはいえ、

生活を支えていくためにお金は必要です。

 

妻と子供(4か月)もいますので、

家族を養っていかなければいけません。

 

地方生活で「収入」を得るために、

最もてっとり早い手段は「企業に勤めること」です。

 

地方には就職口が限られているというイメージがあるかと思いますが、

主要都市(糸島であれば福岡市)まで出れば、働き口はたくさんあります。

 

最近は福岡市は「ベンチャー企業誘致」などにも力を入れています。

LINEやレベルファイブなどのITベンチャー支社もあります。

 

主要都市で働き口を見つけることができれば、

収入は安定します。

 

一方で、収入の「ポートフォリオ」を考えておくことも大事です。

企業から得る収入以外にも、別で収入を得る手段を考えておくのです。

 

なぜなら、

企業からもらえる給与は都会ほど多くありません。

その分、生活コストは安いですが、

複数の収入口を持つことにより、

都会生活並みの収入を目指すことができます。

 

地方生活のなかでは、

地方生活なりの、収入の増やし方があります。

 

お金の使い方が「消費」から「投資」へ

地方生活になり、

お金の使い方がそれまでと変わりました。

 

お金を使う機会が減ったこともありますが、

お金の「使い方」も変わりました。

 

必要なものしか買わなくなった、

と言ってしまえばそれまでですが、

もう少し考えてみると「消費」が減って、

「投資」が増えた感覚があります。

 

お金の使い方には大きくわけて、

「消費」と「投資」の2つがあると思います。

 

なかにはこの2つに分けることができない使い方もありますが、

ぼくはざっくりこの2つで理解しています。

 

たとえば、

毎日食べるごはんにかかるお金は「消費」です。

消費は一度、お金を払ってしまえば、将来的に返ってくることは

ありません。

 

一方、住宅取得のようなお金の使い方もあります。

これは「投資」になります。投資したお金は、

将来的に回収できます。

住宅は最終的に「資産」となって手元に残ります。

 

地方生活で変わったことは、

「消費」が減り、「投資」が増えたことです。

 

意識的に「消費」をおさえ、

「投資」に回すようにしています。

 

このようなお金の使い方の変化は

大事な変化だと感じます。

 

地方生活での「お金」との付き合い方

地方生活での「お金」との付き合い方について

考えてみたいと思います。

 

一般的に、

都会生活のほうが給与水準は高く、

地方生活のほうが低い傾向にあります。

 

ぼくの感覚では、

地方の給与水準は都会の「4~5分の1」という感覚です。

 

なぜ、地方のほうが給与水準が低いかというと、

生活コスト(居住費・食費など)が安くて済むからです。

 

例えば、

新宿で1LDKの家を借りようと思えば10万円はしますが、

地方では「4-5万円」程度で借りることができます。

 

このような生活コストの差が、

そのまま給与水準に反映されています。

 

なので、

給与が少ないので、地方生活は大変だと思われがちですが、

実際の生活水準はそれほど都会と変わりません。

 

むしろ都市で生活していたころを振り返ってみると、

消費の中でも「無駄な消費」が多かったなと感じます。

 

消費は「基礎的消費(食費・居住費など)」、「投資的消費(教育費など)」、

「浪費的消費(ブランド品など)」に分けられます。

 

このうち「浪費的消費」が都市で生活をしていると

多く発生します。

 

例えば、

友達が持っているバックを自分がほしくなって買ってしまう、

広告につられてついつい不要な洋服や化粧品を買ってしまう、

などです。

 

地方で生活をしているとこのような「浪費的消費」

は極端に少なくなります。

 

逆に、本当に必要なものにだけお金を使うようになります。

 

そして、

本当に必要なものにだけお金を使っていると、

自分の生活を支えるために「お金がいくら必要か」がわかってきます。

 

 

ひとの成長は「お金」だけでは測れない

社会人にとって、

自分の成長を測る上でもっとも大事な指標は

「お金(給与・収入)」です。

 

たいていの会社には給与テーブルがあり、

社員は、より上の階級や職位を目指してはたらきます。

 

これはサラリーマンであれば当然の習性であり、

宿命ともいえます。

 

このように「成長の尺度」を「お金(給与)」に

換算することは、当たり前のように思えます。

 

しかし、

今の時代、給与は右肩上がりに上がるわけではありません。

 

大企業で一生を勤め上げる人も減っています。

転職が前提の社会であり、給与も思うように上がるわけではないでしょう。

 

その結果として、給与が思うように上がらないと、

自分は成長してないのではないか、と考えがちです。

 

しかし果たして、本当にそうでしょうか、

とぼくは思います。

 

そもそも、

ひとの成長をお金というひとつの基準で測ることなど

できるのでしょうか。

 

ぼくはできないと思います。

 

ひとの成長は「お金」では測れないものが

たくさんあります。

 

たとえば、

こどもの成長もそのひとつです。

 

子供は生まれてから働きはじめるまで

あらゆる面で成長します。

しかし、

子供が「より稼げるようになっているか」というと

そうではありません。

 

子供の成長は「金銭的価値」によって測ることはできません。

 

ところが大人になり、社会人になると、

成長の指標が「お金」のみになってしまう。

これは不思議なことだと思います。

 

大人にも「金銭的価値」以外の成長の指標は

たくさんあります。

 

それらは「精神的な成長」と呼ばれるものです。

お金という成長尺度から一度、自由になると

このことが本当によくわかってきます。

 

思うに、

資本主義社会が「成長ゲーム」であるという前提は

悪くありませんが、

「『お金(金銭的価値)』を成長の唯一指標」にしてしまうこと

は個人にとって、あまりよくないのかもしれません。

 

成長指標が多様化し、

より多くの人が自分の尺度で成長を測れると

世の中はもっと幸福になるかもしれません。